fjtn_cの日記

フリーライター藤谷千明の日記です

それは〈炎上〉ではない。

3月20日、阿佐ヶ谷ロフトAで行われた「宇野維正 × てけしゅん(伏見瞬・照沼健太)音楽情報 カルチャー系ジャーナリストはYouTubeとどう生きていくのか」にいきました。その後、ツイッター上で荒っぽい形で意見表面をしてしまったので、その件についてまとめます。

 

 

このツイートのとおり、わたしはイベント途中(前半終了の休憩時に)で会場を抜けています。その後、会場チケットについていたアーカイブ配信で後半部を視聴しました。聞いているうちに、出演者にクレジットされていない(ツイッター上で飛び入り参加することは匂わされていたようです)、田中宗一郎さんが登場し、春ねむりさんに言及し、その後の宇野さん、伏見さんも含めた態度に疑問を持ちました。ツイートした通り「最低だな」と感じました。

この投稿のあとに、出演者のなかで唯一友人関係にある伏見さんから「最初からツイッターに投稿するのではなく、まず自分に問題点を伝えてほしかった」「投稿するのなら〈わちゃわちゃ〉〈擦る〉〈クソ最低〉といった抽象的な言葉で批判してほしくなかった。問題点は丁寧に説明してほしかった」といった趣旨の連絡がきました。

その話を持ち出したのは、伏見さんではなく田中さんなので、伏見さんを苦情窓口にするのは違うと考えたので、投稿させてもらった旨を伝えました。また、これは結果的に「友人である伏見さんを信用してない」という態度になるので、少し反省していますが、自分の経験上、こういうときにポジション的に〈後輩〉の立場にある人に伝えても、わたしの意見はその通りに届かない。〈目上の人〉はそういった〈後輩〉の意見を受け入れるケースは少ない、あるいはそもそも〈目上の人〉には言わずにそこで止まる可能性もある、言葉を選ばなけらば〈丸め込まれるかもしれない〉という危惧がありました。これは「信用していない」と思われても仕方ないです。

〈わちゃわちゃ〉という言葉に関しては、これでも表現は選んだつもりでした。「ボーイズ・クラブ」「ホモソーシャル」「ハラスメント」など、(わたしの考える)拡散性の強い言葉は避けました。たしかに、〈クソ最低〉は手元が狂った感はあります。これはネットミーム的な表現を使うことに慣れきっている自分の落ち度です。ただ、その後のツイッター上における伏見さんの態度には疑問が残ります。端的にこの投稿は、事実と異なりますので。

 

 

宇野維正 × てけしゅん音楽情報 カルチャー系ジャーナリストはYouTubeとどう生きていくのか - Premier Live


アーカイブ配信を聞き返しました。有料配信の書き起こしは慣習的にNGとされていますが(イベント中に出てきた「因習村」のような慣習ですよね。因習村って表現、わたしは個々の作品の機微を失う言葉だと思うから作品を語る際には使いたくないけど、今回は使いますね)、最低のやりとりは書かせてもらいます。ただ「切り抜き」的な印象操作にも見えてしまうと思いますが。だから、これが正解な情報というわけではありません(アカデミー賞での俳優たちの振る舞いの理由が、映像だけではわたしにはわからないように)

(AM9:12に加筆:「有料配信を書き起こし」という倫理自体を因習というのは言い過ぎという指摘がありました。そうですね、ここは言葉足らずでした。「問題点の指摘のためにであっても」を付け加えておきます。書き起こしは公開しないでほしいと事前に伏見さんから伺っていました。法には触れないけど、お金を払っているお客さんのために公開しないほうがいい情報、たとえば、Perfumeゴールデンボンバーのライブセトリはネタバレになるからツアーが終わるまでSNS上で公開しない…などは「因習」だとはわたしも思いませんし)

 

なお、春ねむりさんと宇野さんのやりとりの経緯は、春ねむりさんご自身がこのように記録しています。

 

田中さんが「宇野さんはここしばらく調子が良くなかった(※これはわたしの意訳です)、じゃないと春ねむりをディスらないよ」といった趣旨の言葉を宇野さんに投げかけました。そこに伏見さんは即座に「懐かしいね」と応答しています。その後、配信のコメント欄でも春さんのお名前が出たようで、それを見て宇野さんは「ネタにしないでほしい、洒落にならないんだから(※これはわたしの意訳です)」とおっしゃり、それを受けて伏見さんは「じゃあ春ねむりとYouTubeやればいいじゃないですか」「俺は春ねむりさんと話せますよ」と続けています。まあ宇野さんと伏見さんでは春ねむりさんとの関係性が全く違うので、この段階で「話せますよ」はあまり意味のない発言だと思いますけど。また、このやりとりのなかで、照沼さんはずっと口をつぐんでいたことを付け加えておきます。

伏見さんは弄るつもりはない、とおっしゃっていましたが、あくまでわたしの受け止め方では伏見さんの「懐かしいね(※わたしの印象的には「懐かしいネェ!」くらいのテンションです)」の時点で弄ってるでしょう、擦ってるでしょう、という印象はぬぐえません。今でも意見は変えられないです。

そして、わたしがSNS上で春ねむりさんに対してこのような「蒸し返し」ともみえる言及の仕方をしてしまったことは、春さんにもストレスを与える結果になりかねないので(わたしが反対の立場だったらストレスを感じると思うので)、そこは申し訳なく思います。ではどういった形が最善だったのかは、まだ思いついてないですが。

 

伏見さんは、春ねむりさんと「話せる」とおっしゃっていましたが、呼びかけにはとくに応答されていないようですし。とはいえ、公開の場でやると意図せぬところでこじれることもあるでしょうし、「今すぐ直接やりとりする」ことだけが最善策ではないとも思います。とはいえ、「こないだの言葉はなんだったんだ」という印象は持ちます。

(AM:923 加筆修正)

伏見さんから、「応答はしています」とご連絡いただいたので、該当ツイートを追加します。

主語がなかったので、これが「春ねむりさんへの応答」と気が付きませんでした。(お客さんやフォロワーにむけているのだと思ってました)そしてやはり「こないだの威勢の良さはなんだったんだ」という印象は持ちました。

 

 

わたしはライターをしていますし、同じ媒体(リアルサウンドとか)で書くこともありますが、宇野さんとは関わりあいはありません。なので完全に外野からの見方になりますが、春ねむりさんとのやり取りに関しては、春ねむりさんに一切、否はないように思います。そういった状況下でわざわざ名前を出すことは、「有料の居酒屋的なトークイベントの空気」をもってしても看過できないと感じました。かつて(2000年代くらいまで)は「ロフトプラスワンでの会話は地上に持ち出すな」という不文律があったと思います。ただ、現在は配信もありますし、そのかぎりではないと思いました。まあ空気が読めてないといわれたらそれはそうですね。水をさしてしまってすみませんでした。

なぜここでわたしがくどいくらいに言及しているかというと、この一連の流れには、イベント中に言及されていた「因習村」のようなふるまいがあるからです。真っ先になかば嘘に見えてしまうほどの言葉を使って、わたしの話を矮小化しにきた、あなたが、あなたたちが。書いていること、言っていること、やっていることに齟齬がある。人間なので矛盾があるのは当然だとは思うけれど、それにしても、です。それで批評とか文学とか言われても、それは批評や文学に失礼だと思います。

 

また、わたしは宇野さんの「炎上」発言をネットミーム化して「弄る」ことも反対の立場です。「いうほど権威ではない」という表現は失礼かもしれませんが、政治家のような公人でもなく、一介の文筆業・おそらくは個人事業主じゃないですか。「音楽・映画ジャーナリズムの世界でちょっと名のしれた方」くらいの人に対して「公で」そこまでやっていいのか? という疑問はずっと持っています。

SNSで「東京の女の子どうした?」的な言葉を何度も繰り返している人も、一人ひとりは軽い気持ちでやっているはずです、ただ、それが一度に来るとダメージは大きいと思います。

宇野さんの振る舞いや発言は批判されてしかるべき部分はたくさんあります。でもそこで茶化しや揶揄に終始してしまうと、どんどん問題点は曖昧になってしまいます。きっと宇野さんは今自分の行いに対して、どの部分が問題にされているのか、わからなくなってるのはでないでしょうか。「また〈炎上〉した」としか受け止められないかもしれません。あくまでわたしの憶測になりますが。

〈炎上〉〈炎上キャラ〉〈炎上商法〉という言葉が覆い隠してしまう現象がある。アイドルの恋人発覚も、ミュージシャンのリベンジポルノも、映画監督の性暴力も、芸人の政治的発言もすべて〈炎上〉になってしまう。個別の問題が有耶無耶になってしまう。SNS上の空気に流されずに、一つひとつの問題を考えるべきです。というか、イベント自体がそういう趣旨の話をしていたようにも思えますが、やっぱり言ってることとやっていることが異なっているように思います。

トークの内容は、「なるほどな」と思える部分はたくさんありました。そこはやはり優秀な編集者や書き手の方々だな、と思います。だからこそ、愚痴っぽいガス抜きのような形ではなく(※個人の感想です)、もっと「仕事」でそれを表現してほしいと思いました。


わたしもそうありたいと思います。がんばります。

 

(AM6:50に照沼さんの投稿に気がついたので、追加します)

 

 

最後に、今回の件で、「直接対話を」という提案は他の方からもいただきました。気を使わせてしまって申し訳ないです。ただ、わたしには「対話を」という言葉に少し忌避感があります。これはわたしの事情なので、わかってくれとは言えないです。

 

そのことはこのツイートに書きました。