タイトルのとおりです。
元記事はこちら。
エッセイスト・タレントの小島慶子さんによる連載「BTS研究所」、社会学者・ハン・トンヒョンさんとの対談記事がTwitterタイムラインに流れてきました。興味のある人は、↑のリンククリックして読んでください。あんまり引用もしたくないので(自分のブログにあんな醜悪な振る舞い、載せたくないンゴ〜)。
AKB的なシステムを通して女性を「搾取(雑概念)」「消費(雑概念)」していた「おじさん(雑概念)」たちのように、BTSを「消費(雑概念)」したくない、彼らは良き行いをしている、しかしそれを期待することがすでに「加害(雑概念)」なのではないか? という(至ってご本人は真剣なのでしょう)オモシロ反省パフォーマンスでした。拍手拍手。
茶化してしまってすみません。他人の「真剣な反省パフォーマンス」を笑ってしまって。でも、面白かったから。だって、欲望に対して「一瞬だけ躊躇う」姿勢を見せたら免罪符として機能するのであれば、それはそれは、たいへん便利で、とてもおめでたく、知性がまったく感じられない振る舞いじゃないですか。何ひとつ「考えたいこと」はなくて、ラクに思考停止するための逃げ道を模索しているように見えます。それは端的に申し上げて滑稽! ちょっと言い過ぎたかしら。ただ、メディアに載せられているものを、どう「消費(雑概念)」し「解釈(雑概念)」するかは、受け手の自由ですからね。わたしもそういう商売をしているものですので。失敬。
で、わたしがここで申し上げたいのは、「BTSをアゲてAKBをサゲるな」ということではありません。そういう人もいらっしゃると思いますが、わたしはそうじゃない。もちろん、「あ〜BTS新規ハイおばさんの支離滅裂な自己弁護乙」みたいな話でもないんですよ。
だってこれは、BTSやAKBじゃなくても、どんなグループでも、現象でも代入可能です。代入可能なサムシングにレッテルを貼って見下すことも、象徴として持ち上げることも、コインの裏表。ある種の「加害(雑概念)」を含みます。(っていうかこの世のすべてのコミュニケーションに「加害(雑概念)」は含まれるので、程度問題だとは思いますけど)
小島さんは「象徴として持ち上げること」の持つ加害性に対してのためらいは見せつつも、AKBやそのファンに対しては元気よくレッテル貼りをカマします。もはやサンドバッグです。推しは生贄にしたくはないけど、他人の推しと他人は容赦なくサンドバッグ。理解。秋元康による差別的な内容の歌詞や「恋愛禁止」の圧力など、過去のことを含めての批判的再検証など、語るべきはたくさんあると思います。ただ、それはレッテル貼りをするだけで終わる問題ではない。というか、それは意味がない。政治だろうが推し活だろうがなんだろうが、稾人形を作って叩いた時点で、思考は止まるものですから。
ちなみに、個人的な最ズッコケレッテル貼りポイントは、AKB総選挙的システムと「吉原細見」を、なんの躊躇もなく「同じ」と言い切ったところです。
なお、この視点は小島さんのオリジナルなものではなく、2020年の千葉の国立歴史博物館で行われた「日本の性差史」(https://rekihaku.ac.jp/outline/press/p201006/)以降、散見されるようになりました(それ以前からあるのかな)。わたしも観に行きましたし、あの展示を見てそういった「印象」を持つ人の気持ちもわからなくはないです。ただ、印象論以上のものがなく、公で「同じ」と言い切るのは暴論だと思います。連載のタイトル「研究所」だし、対談相手「社会学者」ですぞ。全部冗談なら、冗談だと書いておいてくださいね。
っていうか、あの展示を見てAKBのシステムを連想することに対しては「わかる」になりますが、全然関連性のないWEB記事で、なんも説明もなくAKBのシステムの話から時空すっ飛ばして江戸時代の遊郭に行くのは「わからん」になります。だってたとえば現代の性風俗にも「大手ポータルサイトによる大規模人気投票とそこで頑張るキャスト」は存在するので。時空すっ飛ばして遊郭出すなら、そっちの方と重ねたほうが話、早くないですか? わたしは遊郭や性風俗とアイドルという職業は、構造からしてかなり異なるものだと思っているので(1対1の密室での接客がメインの商売と大規模なコンサートメインの商売という違いは大きいと考えています。握手会で個別? それ何秒?)、とくに重ねることはしませんが……。
そして、これはAKB総選挙的なものだけでなく、「人が人をランクづけするエンタメ」に対してなら、わりと何にでも当てはめられるのでは。たとえば、昨今アジア圏で乱立するアイドルグループオーディション番組(サバ番)なんて最たるものです。それこそ視聴者のことを「国民プロデューサー」と呼ぶ番組もありますし。今後の対談でそういった話も出てくるのかもしれませんが。あるいは、YouTubeを中心に圧倒的な再生回数を叩き出している、アマチュア格闘技ショー「BREAKING DOWN」出演者も、人生の一発逆転を狙う「持たざる者」もいます。それを「搾取」「消費」してると、「当てはめる」こともできます。ちなみに「BREAKING DOWN」は、男性だけでなく女性も出演しています。では、これらの運営や視聴者はすべて「悪しき搾取者」なのでしょうか? わたしはそうは思いませんが。
熱狂的ブームが終わったものに対して「あれはよくなかった」と、外から断罪するのは、けっこう簡単なことではないかとわたしは考えます。では、今現在起きている似たような構造のものに対しては、何か思うことはないのでしょうか。ご存知ないのかもしれませんが…。ご存知でもとくに興味がないのかもしれませんが…。まあそこまで求める必要もないか…。
これは一般論のコーナーになるんですけど、「推す私」にためらいを持つ態度、まあファン活動の態度は人それぞれですよ。欲望の発露の仕方は人それぞれ。たとえば、それこそ性風俗で相手に謝りながらじゃないとオーガズムに達せない男性も女性もいるでしょう。そういう「性癖」の人もいる。「反省」だって、我先に人前でやろうとするのであれば、欲望のためのパフォーマンスが含まれてるとわたしは判断しています。ある種のプレイじゃないっすか? 楽しそう! で、まあそれはさておき。2023年現在、著名な方が「倫理的でヘルシーな推し活の模索」的振る舞いをしていると、わたしの性根が腐っていることもあり、「推し活ブームもピークがすぎて、いっちょかみしたいけど、ブームが終わった時に吊し上げを喰らうのは勘弁」みたいな保険に見えてしまうんですよね。わたしの考えすぎだといいな! 心からそう思います!
マジで自分の欲望(を持つことそのもの)に後ろめたさがあって、どうにかしてそれを覆い隠すために、わかりやすい悪役を立てないと、気持ちよく「推せない」人がいるのであれば、推し活どころか、そもそもエンターテイメントを楽しむことも、人生についても、一回立ち止まって自分の内面と向き合ってみたほうがいい気もするのですが(その結果をSNSとかネットに書かずにね)、それはそれで、わたしの過干渉ですね。支配欲支配欲(雑概念)。
いつも申し上げていることですが、職業に貴賎なし、クソ客に性差なし。フェアにいきたいですね。何卒よろしくお願いします。
またね。
…あ! これは本当に余談なんだけど、数年前に災害ボランティアに参加したことがあって。で、そこで同じチームになった男性が「かなり遠方から来た。ここは地元でもなんでもない。でも、アイドルグループを応援していた頃にツアーで来た場所。それがとても楽しかった記憶があった。だから災害のニュースを見て気になって申し込んだ」という趣旨の話していたんです。
推しが国際的な舞台でスピーチをしていなくても、ファン同士が大規模な連帯をしていなくても、多くの人に可視化されなくても、「社会貢献」をしている人はいる(たぶんこの人は「推しのために社会貢献」の意識もなさそうだったけど)。推しと人生にはいろんな形がある。世の中にはいろんな人がいるから、荒っぽいレッテル貼りや一面的な見方だけは、したくないものですね。
じゃあ、ほんとうに、またね!