こないだちょっと半公開みたいな場所で「家父長制とかの言葉が何も考えずに使われている状況がイヤだ」みたいな話しちゃったんですよね。
まあその場にいた人がどう思ったのかわかんないけど(単にその言葉にウンザリしている的に思われたらヤかな)、ちょっと言葉足らずだったなーとは自分でも思ったわけ。それで今自分の考えていることを、自分の中での整理のために書いておこうと思ったの。
まあこういうのって最近は非公開の場所……たとえばLINEだったりDiscordだったり鍵アカウントだったり有料noteだったりあるいは紙の同人誌だったりにしたためたりするのかもしれませんが、やっぱりわたしは無料の公開のインターネットに書きたいなー。
前置きが長いよ。
なんかここ3年くらいかな? 会話の中で批判的な文脈で「家父長制」みたいな言葉が出てくるときに雑だなって思うことがあったのね。何度か。
たとえば、昔書いたコラム原稿で「父親と運動会で二人三脚に挑戦したら、父親が何も考えずに全力疾走したから数メートル引きずられた」みたいな話を書いたの。まあわたしとしては残念パパ的な笑い話のつもりでね。そしたら読んだ担当編集者の方から「それは家父長制の影響でしょうか」的なコメントが入れてあって、軽い気持ちのコメントだったのかもしれないけど、なんとなくずっとひっかかっているんですよね。(たしか「そういう意味ではないです。読み手が誤解するようであれば削除します」って言った気がする)
ウチの父親はわたしと対照的に身体能力が高く学生時代スポーツ選手として全国大会で優勝とかしてた……ので、小学生の子どもの身体能力を考慮せずにうっかり全力疾走するのは確実にバカなんですけど、バカだな。うん、バカ。それは家父長制はあんまり関係ない気がするんですよね。ウチの父親も自分が家長だから偉いので二人三脚で子どもを引きずっていいとは思ってないでしょう。どうだろう。
またこれは別の話なんですけど、とある会合に出席したときに自己紹介のやりとりのなかで出身地の話を出したら「それは家父長制的な圧が強くて大変だったのでは」という声をいただいたことがあって。わたしは山口県の漁村(いまは合併して市ですけど)=田舎出身であることは間違いないのですけど、田舎=家父長制の圧がというのもちょっと違うんじゃないかなと思ったんですね。
そもそも過疎地なので人口が少ないからなのかわたしの注意力の問題なのか、周りの人間関係のが抑圧的なのか開放的なのか、実感として把握できてなかったんですよね。まあ父親と顔がそっくりなので、そのへんのコンビニ行ったら知らないおばさんから「藤谷さんとこのお子さん?」と声をかけられたりはした。それを息苦しいと思うかどうかはそれぞれだと思うけど(わたしは実害はないからどうでもいいと思っていた。そのくらいわからない。中学校に尾女子生徒の上下関係が無駄にきつかったけど、ああいうのは都市部でもあるでしょ)。
家父長制の問題っていうのは、「女だから」「男だから」と希望の進路にすすめなかったり、家庭内での役割がフェアでなかったりといった抑圧、あるいは直接的な暴力などを指すものだと捉えていたので、ド田舎出身=家父長制が……にはならんと思ったのですよ。いちおう「いやウチの親は女だからどうこうとか言わなかったし、過疎地なんで町の人のことはわかんないっす」みたいなやや雑なお返事をしてしまった。まあこの場での丁寧なお返事というのもわたしには想像がつかないのだけど。
その言葉を使って寄り添ってくださるつもりだったと思うんです。どっちのケースも。ただ、ほかの言葉ならともかく、わりと強めの言葉じゃないですか「家父長制」って。そして徐々になくなってほしい概念でもある。わたしはそう思っています。だからこそ、気軽に人に使っていいものいいものではないし、「あ〜田舎=家父長制きついwあるあるっすw滅ぼしましょww」みたいな感じのネットミーム的コミュニケーション素材になっても困るわけで。わたしは困るかな。だってミームって広がるから。広がるたびに無意味になって行くものだから。どちらも言葉を仕事にしている人とのコミュニケーションだったから、なんか違和感があったのかもしれない。言葉にあぐらをかいているように見えて。
その場その場で今書いたようなことをきちんと伝えることができればよかったのだけど、なんか上手く言えなかったのもちょっと後悔してるかな。
まあそのコラムの連載は色々あって降りちゃったし(あんまり連載を続けるのが上手くないので、今年はそういった自分の根性のなさを改善したい)、その会合も予定より1時間くらい早く退席しちゃった。
ただただ、言葉の使い方ってむずかしいなあって思うのでありましたよ。