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フリーライター藤谷千明の日記です

【過去記事保存】ケータイ小説のその後と、男性不在の地方社会(初出 cakes:2012年12月4日)

(※2012年12月にWEBサイト「cakes」にて掲載されたコラムを、サイト終了により加筆修正して公開します)

ケータイ小説のその後と、男性不在の地方社会

都市部よりも地方でブレイクしたケータイ小説に、ここ数年ある変化が起きています。まるで、地方社会の姿を反映するかのように起きているその現象とは、いったいなんなんでしょうか?

 

 


ケータイ小説、その後

数年前に『恋空』がヒットし社会現象にまでなったケータイ小説。ブームが収束して以降、その存在を見かけることは少なくなりました。とくに都心の書店では、棚を見つけるのも一苦労です。しかし存在自体が消えたわけではなく、ティーンズラブという若い女子に向けたライトなエロラブコメにシフトチェンジし、地味に定着しているようです。ちなみに携帯小説の老舗スターツ出版や、魔法のiらんどを買収したアスキーメディアワークスだけではなく、あの集英社もこのジャンルに参入していることが人気の証明になるのではないでしょうか。


そして現在のケータイ小説を語る上でかかせないのが、全国の学校で草の根的に広まっている「朝の読書運動」通称「朝読」。この運動の広まりで、最近では学校の図書室に置いても不自然ではない、「品行方正」なケータイ小説も生まれています。例えば、スターツ出版毎日新聞と共同で開催している「日本ケータイ小説大賞」の第六回受賞作品『あの夏を生きた君へ』(スターツ出版)は、文体はケータイ小説のそれですが、いじめによる不登校や戦争を題材にしています。

 

 


一方でコミック化や映画化などメディアミックスでもヒットを飛ばしている『王様ゲーム』(双葉社)のようなホラー・サスペンス小説も一定の需要があるようです。

 

 


しかしながら、『恋空』的というか『ケータイ小説的。』(速水健朗原書房)な実話ベースのケータイ小説も消滅したわけではありません。相変わらず十代の妊娠や悲恋的な内容も多く、そして『恋空』の読者層が年齢を重ねたせいか、嫁と姑のバトル小説や浮気相手に復讐する小説のような、コンビニの主婦向け漫画雑誌にありそうなコンテンツがココ数年人気のようです。

その中で、特に話題になったのが『チンカルボー』という浮気復讐小説。上下と2作品に分かれており、現段階で双方とも300万PVを超え、第5回魔法のiらんど大賞のノンフィクション部門を受賞し書籍化もされている人気作です。タイトルの意味は読んでいただけるとすぐわかるので説明を省きますが、ひょんなきっかけで夫の浮気に気づいた主人公が、ひどい(でも笑える)手口で夫と浮気相手を追い詰めていく過程の描写のコミカルさで、人気を博しました。

 


この作品は元々ケータイブログで書いていた話を、そのままだと差し障りがあるので小説サイトに移転し、そのまま人気ケータイ小説となり書籍化しました。ブログ時代は「実話」として公開されていましたが、過激な内容のせいかコメント欄が炎上。その結果現在の小説版では「この話が実話かどうかはもったいぶって伏せます。読み手の自由でいきましょう。まぁ気軽に読んでみてくださいな。」と冒頭に但し書きがしてあります。


ちなみに『恋空』も当初は小説ではなく掲示板に投稿された「日記」のようなものでした。それが様々な経緯をもって「実話を元にしたフィクション」という形式に落ち着いたのは周知の事実。そういった意味では『チンカルボー』もケータイ小説らしいケータイ小説といえるかも知れません。実話系ケータイ小説の文体でギャグをやるという変わった作風が新鮮で個人的にも気に入っています。


実話系というわりには都合のいい展開が多いのがケータイ小説の醍醐味ですが、この作品は浮気夫が事故や病気で都合よく死んでしまうわけでもなく、浮気夫は最後までわりとみっともなく復縁を迫るし、だからといって浮気夫の代わりにイケメン男性が主人公を救ってくれるわけでもありません。中盤以降で主人公にとって重要になってくるのは、彼女の母親です。時に叱咤し、子育てのサポートをし、主人公を助けてくれて、作中にも母親への感謝のことばがたくさん出てきます。女友達やお母さんの方が信頼出来る存在で、男の人の影がどんどん薄くなっていきます。


ケータイ小説は地方の女性のリアルを反映しているといわれていますが、私の周囲でもこの感覚はあながち特殊なものではないのかなあと感じるような出来事がありました。

大黒柱が過去のものになった世界

 

先日、SNS上で地元の知り合いと再会しました。メッセージはひとことだけ。

 

「ねーねー、もしかして藤谷?」

 

どうしてこの手の人は、久しぶりに(ネット上にせよ)会う人間に対して1行なんだろうなあと思いつつ「ご無沙汰してます~。○○さんはどうしてるんですか~^^」と返信。彼女はたしか結婚して子供もいたはずなんですが、プロフィールを確認すると、居住地が地元。


あれ?

 

アップしている写真を見ると、夏には砂浜でバーベキュー冬にはスキー場など、様々なイベントの家族写真ばかりなんですが、パートナーらしき人が写ってるものが一枚もありません。
あれれ?


「こっちに来るなら会おうよ! ウチに来る?」と向こうは妙にノリ気だったので、今年の夏に帰省した際に会うことに。彼女の家は市内の公営住宅で、過疎地とはいえ公営住宅は倍率が高いのに運がいいですねというと、「母子家庭は優先して入れるからねー」。あ、やっぱり。
話を聞くと、結婚して数年で別れたそうで、その理由がケータイ小説やギャルママ雑誌の投稿などにありがちな夫の暴力でも浮気でもなく、ちょっと意外な話でした。


「元旦那、給料が低いのに家事しないんだもん」

 

子供が生まれたのに、非正規雇用のパートナーは同じく非正規雇用であるパートタイムの彼女とほぼ同じ収入。それでも家事を手伝うそぶりもしない。離婚前にガン切れして「家のことも手伝ってくれないと別れる!」と号泣するもその後に元旦那さんがやった「家事」が「自分が食事を済ませたあとの食器を台所の流し台まで持っていくのみ」という話に、さすがにちょっと笑ってしまいました。(当事者にとっては笑いごとではないでしょうが)


まあ結局それで気持ちがすっかり覚めて別れてしまい、いまは自分の実家からもさほど離れていない地元の公営住宅で子どもと二人暮らし。普段は保育所に預け、孫がかわいくて仕方がない両親にも相当サポートを受けてる様子。「結婚生活はおっきな子供をもう一人育ててるようなモノだったし、今のほうが全然ラクだよ」と冗談とも本気ともつかない軽口が印象に残っています。


さきほどのケータイ小説の話ではありませんが、今は家庭に入ってもメールやSNSのおかげで結婚前の友達と関係が切れるわけではないので、ダメな旦那に構っているよりも、家事や子育ては母親にサポートしてもらって、仕事の愚痴は友達と遊んで発散してる生活の方がラクなのかもしれません(もちろんこの場合、実家や自身に安定した収入があることが大前提になってきますが)。


東京に戻る新幹線の中で、ずっと「じゃあ若い男の人はどうしたらいいんだろうなあ」ということを考えていました。わたしの地元の場合だけかもしれませんが、地方の非正規雇用の男の人はすごく多いですし、正規雇用でも残念ながら手取りはフリーターとそこまで変わらないケースも少なくありません。結婚したってもう彼らは大黒柱たりえない。


もちろん、この知り合いの話は極端なケースだと思われますが、少なくとも「別れたいけど、離婚したら生活できない」ということは昔より少ないでしょうし、親のサポートを受けながら福祉を利用したほうが自由がきくケースもあるのではないでしょうか。実際に「籍を入れずに母子家庭のままで福祉の保護を受けたほうが経済的にラク」という話を耳にしたこともありました。


もちろん、男女双方の立場から「愛があれば収入なんて」「男をATM扱いするな」といわれるかもしれないですが、収入面では男性の収入が減ることで結果女性と平等になる、いわゆる「後ろ向きの男女平等」になってしまっている現在で、逆に「愛」以外つなぎとめるものがない婚姻関係ってどこまで続けていけるのかなあ、と。


さて、西日本から東京までの新幹線の窓から見えるものは、


山・山・畑・田んぼ・山
_人人 人人_

> 突然のイオン<

 ̄Y^Y^Y^Y ̄
山・畑・田んぼ・山(以下無限ループ)


というような、いわゆるファスト風土的なながめです。

 

 

 



今年、ファスト風土化した地方に生きる女性たちを描き話題を呼んだ連作短篇集『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)にも、彼女たちを支えてくれるような「頼りになる男性」はあまり出て来ません。全編を通して登場する男性「椎名」も、いわば彼女たちの綺麗な思い出の中に生きる人といったポジションです。つまり、女の子は男の人に頼らずに生きていく覚悟をもたなくてはいけないし、男の子は誰に必要とされてるのか自信がもてないまま大人にならなくてはいけない。地方だけでなく、この国はそういう社会になりつつあるのかもしれません。

 

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うーん、いまやケータイ小説は俺様や溺愛系ラブコメが主流になり、ギャルはある種の記号になっているわけで。マジで十年一昔ですね。この記事は文章が今より輪をかけてドヘタなのと(ヘタすぎて編集部にお手数をおかけしました…)、ちょっと倫理的にどうかなって話が多かったので結構手直ししました。それもある意味十年一昔というか、昔は書けてたけど今は書けないなって切り口もわりとありますね。

 

『恋空』の新装版もこんなんになってますからね。このチャリ乗ってる男子、ヒロ(不良)かい?

 

世の中は色々変わっていくわけですけど、「女の子は男の人に頼らずに生きていく覚悟をもたなくてはいけないし、男の子は誰に必要とされてるのか自信がもてないまま大人にならなくてはいけない。」は、今のほうが重く感じてしまうな。こんな残酷なこと、誰が書いたんですか?(すっとぼけ)